Webは“見られるもの”から“見にきてもらうもの”へ

かつて、Webサイトやブログは「公開すれば誰かが見てくれる」ものでした。検索エンジンの競争も今ほど激しくなく、発信者も少なかったため、ページをアップするだけで自然とアクセスが発生していた時代がありました。実際、手の込んだSEO対策をしていなくても、検索からの流入で記事や商品ページが閲覧されていたのです。

公開しても、誰にも見られない時代へ

しかし、現在では、Webを公開しただけではほとんど誰にも見られません。検索結果は大手メディアや情報ポータルが上位を占め、競合数も膨大。さらに、ユーザーの情報収集経路はSNSや動画、口コミアプリなどに広がり、「ただ公開しただけ」では見つけてもらうことすら困難になっています。

この変化を受けて、「もはやWebサイトは不要なのではないか」という声があるのも事実です。たしかに、LINEやInstagramなどのSNSで直接やり取りができるようになり、Webを介さない集客や案内も増えています。

それでもWebを持つ意味

それでも、私はWebサイトを持つ意味は今も確かにあると考えています。理由のひとつは、SNSやチャットが情報の“流れ”を作るのに対し、Webは“蓄積”の役割を果たすからです。SNSの投稿は時間とともに流れていきますが、Webページは必要な情報を整理し、いつでもアクセスできる状態で残しておくことができます。

また、Webサイトは信頼感の裏付けにもなります。特に価格や契約が絡むサービスでは、「この会社(人)は何者か」「どういう考えでやっているか」を確認したいユーザーが少なくありません。そのとき、整理されたWebサイトがあるかどうかで、安心感は大きく変わります。

生成AI時代のWebという存在

そして最近では、生成AIの発展により、構造化されたWebページの情報がAIによって引用・要約される場面も増えてきました。この点についてはまた別の機会に触れたいと思いますが、今後は「人に見てもらう」だけでなく、「AIに拾われる」こともWebの存在価値になっていくでしょう。

「見にきてもらう行動」が必要な時代

重要なのは、Webサイトは「見られるもの」ではなくなったということです。今は、「見にきてもらうための行動」を自分たちが起こさなければならない。SNSで発信する、LINEで案内する、口コミを得る、広告を打つ――そうした“動き”があって初めて、Webは活きた情報拠点になります。

Webがあれば何とかなる時代は終わりました。けれど、Webがなければ始まらない、という時代は、まだ終わっていないと思うのです。