相続をテーマにしたセミナーでは、何を伝えるべきでしょうか。
法定相続人、遺産分割、遺言、相続税、相続手続き、相続対策。
相続には知っておくべきことが多くあります。そのため、セミナーを企画するときも「何を説明するか」から考えるのが自然です。
しかし、参加者に多くの知識を持ち帰ってもらうことと、その後に実際の行動が起こることは、必ずしも同じではありません。
話を聞いて「勉強になった」と感じても、
「では、自分は何をすればいいのだろう」
というところで止まってしまうことがあります。
そこで今回は、一般的な知識提供型の相続セミナーを題材として、ACWD(Action-Centered Workshop Design)の考え方で60分のワークショップへ再設計した内容を詳しく紹介します。
01|BEFORE:知識を伝える相続セミナー
参考にしたのは、一般的な相続の基礎セミナーで見られる次のような構成です。
- 相続の基礎知識
- 相続の手続き
- 相続税
- 相続対策
- サービス紹介
「相続の基礎知識」の中では、法定相続人、法定相続分、遺留分、遺産分割協議、遺言などを説明します。
「相続の手続き」では、相続人の確定、遺産の調査、遺産分割協議などを説明します。
さらに相続税や相続対策について説明し、最後に自社サービスを紹介する。
情報提供型のセミナーとしては、とても自然な構成です。
参加者は相続について多くのことを知ることができ、「勉強になった」と感じるでしょう。
一方で、ACWDでは別の問いから考えます。
セミナーが終わったあと、参加者に何をしてほしいのか。
知識を得ること自体ではなく、その先にある行動から設計を始めます。

02|「相続を理解する」をゴールにしない
相続は非常に範囲の広いテーマです。
60分ですべてを理解してもらおうとすれば、どうしても説明する情報量が増えていきます。
しかし、参加者が相続について行動を始めるために、相続制度の全体を理解している必要があるでしょうか。
必ずしもそうではありません。
たとえば、
「保険の内容を確認してみよう」
「自分名義の不動産を整理してみよう」
「一度、家族と話してみよう」
「自分の場合は専門家に確認した方がよさそうだ」
と判断できれば、相続準備はすでに一歩進んでいます。
そこで今回の参加後の状態を、次のように定義しました。
自分自身の相続準備の現在地を整理し、未整理・未確認の事項を把握したうえで、自分にとって必要な「最初の一歩」を一つ選択し、実行できる状態になる。
ここで、セミナーの設計基準が変わります。
「相続について何を教えるか」ではなく、
「最初の一歩を決めるために、何が必要か」
から逆算できるようになります。
03|相続のすべてを教えない
参加後の行動を決めると、扱う知識についても考え方が変わります。
今回設定したのは、相続準備について考え始めるための6つの入口です。
- 相続に関係する家族・親族
- 預貯金・金融資産
- 不動産
- 保険
- 借入・負債
- 財産をどうしたいか・遺言
これは「相続に必要な知識を6項目にまとめた」という意味ではありません。
相続について網羅するための分類ではなく、
参加者が「自分はどこまで把握できているだろう」と考えるための入口
として設定しています。
そのため、相続税の細かな計算や遺言方式の詳細、個別対策など、今回の成果物完成や次の行動決定に直接必要のない情報は原則として扱いません。
知識を減らすこと自体が目的なのではありません。
参加者の行動に必要な知識を選ぶ。
これが今回の知識設計の基本方針です。
04|成果物から逆算する
次に設計したのが、参加者が60分の終了時に持ち帰る成果物です。
今回制作したのは、
「わたしの相続準備整理シート」
というA4横1枚のワークシートです。
このシートは財産目録ではありません。
銀行名や残高、不動産の詳細などを、その場ですべて記入することも求めません。
シートの役割は、
現在地の把握 → 確認したいことの発見 → 確認方法の判断 → 最初の一歩の決定
を一枚の中で支援することです。
最初に、6つの領域について、
「把握している」
「一部わかる」
「よくわからない」
のいずれかをチェックします。
ここで重要なのは、
「よくわからない」が見つかることも成果である
という考え方です。
すべての欄を埋める必要はありません。
「自分はここを把握できていなかった」と分かれば、次に確認する対象が生まれるからです。

05|問いによって「相続一般」から「自分の場合」へ変える
ワークシートだけを渡しても、参加者が適切に考えられるとは限りません。
そこで、参加者の思考を進めるための「問い」を設計します。
たとえば、講師が、
「相続では預貯金や金融資産を確認しておくことが重要です」
と説明するだけでは、参加者は知識を受け取る側にとどまります。
今回のワークショップでは、その後にこう問いかけます。
「自分がどこに、どのような預貯金や金融資産を持っているか、おおよそ把握していますか?」
不動産なら、
「自分名義の土地や建物について、何があるか把握していますか?」
保険なら、
「自分が加入している生命保険について、どんな契約があるか把握していますか?」
と問いかけます。
主語が「相続では」から「あなたは」に変わります。
知識を理解するだけではなく、その知識を材料として自分自身について考えてもらうためです。

06|「分からない」で終わらせない
現在地をチェックしたあと、参加者はシート全体を眺めます。
そして、
「いまチェックした中で、一番気になったところはどこですか?」
と問いかけます。
気になったこと、よく分からなかったこと、このままだと少し気になること。
その中から最大3つを「確認したいこと」として書き出します。
ここで参加者ごとにセミナーの内容が分岐します。
ある人は、
「保険の内容を把握していない」
かもしれません。
別の人は、
「自分の場合、誰が相続に関係するのか自信がない」
かもしれません。
また別の人は、
「財産は把握しているが、自分がどうしたいのか考えたことがない」
かもしれません。
全員が同じ情報を聞いていた状態から、
「私の場合はここが気になる」
という状態へ変わります。
07|疑問ではなく「確認方法」まで持ち帰る
疑問が見つかっただけでは、セミナー終了後に再び止まってしまう可能性があります。
そこで、もう一段進めます。
「その疑問は、どうすれば確かめられそうですか?」
と問いかけます。
確認方法として、
- 手元の書類
- 家族
- AI・Web
- 公的情報
- 専門家
- その他
などを提示します。
ここで重要なのは、セミナー中にすべての疑問へ講師が答えようとしないことです。
「答え」をすべて渡すのではなく、
「この疑問を次にどこへ持っていけばよいか」
を参加者自身が判断できるようにします。
たとえば、保険の契約内容なら保険証券を確認すれば分かるかもしれません。
一般的な法定相続人の仕組みなら、公的情報やWeb、生成AIなどで調べられるかもしれません。
一方、自分の家族構成や財産状況を踏まえた判断が必要なら、専門家への相談が適切かもしれません。
参加者自身が、
自分で進められること・情報を確認すれば進められること・専門的な支援が必要なこと
を区別できるようにします。
08|生成AIを「セミナーの外」に置かない
現在では、セミナーを聞いて疑問を持った参加者が、その場や終了後に生成AIへ質問することも珍しくありません。
知識提供だけをセミナーの価値と考えるなら、生成AIは強力な競合になります。
しかし、参加者の行動までを設計対象とすると、考え方を変えることができます。
今回のワークショップでは、生成AIを禁止したり、セミナーより劣る情報源として扱ったりしません。
参加者が利用できる情報源の一つとして、最初からワークの中に組み込んでいます。
一方で、
一般的な情報を調べることと、
自分の場合について専門的な判断を受けることは違います。
生成AIやWebは、疑問を整理したり一般的な情報を調べたりする際には便利です。
正確性が必要な事項は公的な一次情報で確認し、個別事情を踏まえた判断が必要な場合には専門家へ確認する。
セミナーの役割を「情報を独占して提供すること」ではなく、
自分に必要な情報と、その確認方法を判断できるようにすること
へ移しています。
09|60分のセミナーを組み直す
ここまでの設計をもとに、60分の進行を組み立てました。
0〜5分|導入・今日のゴール
相続のすべてを理解することではなく、「まず何をするか」を一つ持ち帰ることを伝える。
5〜10分|相続準備の全体像
6つの入口を示し、これから何について考えるのか地図を持ってもらう。
10〜28分|知識+現在地チェック
6領域について、
短い説明
→ 問い
→ ○△?をチェック
を繰り返す。
28〜36分|確認したいことを見つける
自分のシートを眺め、気になることを最大3つ抽出する。
36〜44分|確認方法を考える
書類、家族、AI・Web、公的情報、専門家などから確認方法を選ぶ。
44〜50分|振り返る
「シートを書いてみて、自分の相続準備について何に気付きましたか?」
という問いで、自分の現在地を意味づける。
50〜56分|最初の一歩を決める
「この中から一つだけ進めるなら何をしますか?」
と問い、可能であれば「いつするか」まで決める。
56〜60分|次の選択肢
書類を確認する、家族と話す、自分で調べる、専門家へ確認するなど、参加者それぞれの次の行動を確認して終了する。
60分の中で講師が説明する時間を最大化するのではなく、
参加者が考える時間を確保するために、説明する内容を選んでいます。

10|サービス紹介も「行動」の中へ組み込む
一般的な営業目的のセミナーでは、最後に独立した「サービス紹介」の時間を設けることがあります。
今回の設計では、必ずしも独立した長いサービス紹介は必要ありません。
参加者はすでに、
「自分は何を確認したいのか」
「それはどうすれば確認できそうか」
を整理しています。
その中で専門的な判断が必要だと考えた人に対して、
「専門家へ相談する」という解決方法の一つとして個別相談を提示する
ことができます。
たとえば最後に、
「今日整理した中で、自分の場合について専門的に確認したいことが見つかった方には、個別相談も用意しています。今日の整理シートをそのままお持ちいただければ、何について確認したいのかを整理した状態でご相談いただけます」
と案内します。
全員を相談へ誘導するのではありません。
参加者自身がワークを通して、
「これは専門家に確認した方がよさそうだ」
と判断した場合の次の選択肢としてサービスを置きます。
サービス紹介を強くするのではなく、サービスが必要になる文脈を参加者自身が理解できるようにする設計です。

11|BEFORE / AFTER
今回の再設計をまとめると、セミナーの構造は大きく変わりました。
BEFORE
相続の基礎知識 →相続の手続き → 相続税 → 相続対策 → サービス紹介
中心にあるのは、「講師が何を伝えるか」です。
AFTER
現在地を確認する → 自分の課題を見つける → 確認方法を判断する → 振り返る → 最初の一歩を決める → 必要に応じて支援先を選ぶ
中心にあるのは、「参加者に何が起きるか」です。
相続について詳しく説明するセミナーを、単に「ワーク付きセミナー」に変更したわけではありません。
参加後に起こしたい行動を先に決め、そのための成果物をつくり、その成果物を完成させるための問い・ワーク・知識・進行を逆算しています。
これが、ACWDによる再設計の基本的な考え方です。

12|「勉強になった」の、その先を設計する
知識を伝えることには価値があります。
今回の再設計も、知識提供そのものを否定するものではありません。
ただし、セミナーの目的が参加者の行動や、相談・サービス利用などその先の成果にあるのであれば、
「何を伝えるか」だけではなく、「伝えたあと何が起きるか」まで設計する
必要があります。
今回の相続準備ワークショップでは、
認識 → 気付き → 判断 → 行動
という流れを60分の中につくりました。
参加者が持ち帰るのは、相続について聞いた情報だけではありません。
自分の現在地と、確認したいことと、その確認方法と、自分で決めた最初の一歩です。
ACWD(Action-Centered Workshop Design)は、セミナーやワークショップを「何を伝えるか」からではなく、
参加者に起こしたい行動から逆算して設計する
ための方法です。
「勉強になった」で終わるセミナーから、その先の行動につなげるために。
参加者の行動を中心に、セミナー全体を組み直します。
※本記事で紹介している相続準備ワークショップは、ACWDの設計方法を紹介するために制作したモデルケースです。専門知識を扱う実案件では、主催者または専門家による内容の確認・監修を前提としています。